横からじゃましてすまん
>>108
帰りがあったのは40年前、公開年から逆算すると1960年くらい。
その頃、日本で大きな出来事って日米安保改定ぐらいしか思い浮かばないんだけど。
駿も学習院でちょっと学生運動に参加していた。

6つ目の駅→6は調和という意味があるらしいけどどうだろ?因みに電車の前に「中道」と表示されている。

沼の底駅→意識の分化の出発点または生命のはじまりの場所?
大抵、地の下は黄泉の国か、または生命が芽生えるところと解釈されます(死と再生)が、
沼だからなぁ、水の底だと無意識ということか?
意識の分化の出発点とすると湯婆と銭婆の姉妹の関係もなんとなく解るような気がします。

駿は意識してやっているのか本人に訊かんとわからんが、
ストーリー、登場人物の構成を突き詰めると神話的になると思う。
特にファンタジーは!
言い換えるとユングの言う「元型」的といえばいいのかな?

>>103
ヒントは確かにないが、見分ける能力(資格)は銭婆から「髪止め」という形で授与されている。
この能力はなぜもらえたかと言うと、ある意味危険を冒して電車に乗って持ち主のところへ印鑑を返しに来たから。
それにはルールの厳守とか善の行使という意味があると思う。
つまり千尋は英雄的行為をしたんだ。能力と言う資格を与えられて当然だと思う。
この映画にはもう一つ湯婆の暴走という側面があって、千尋がそれをくい止めた。
因みに湯婆と坊は客体が姿を変えられると本当の姿を見抜けない。