確かに「ガンダム」という固定観念にとらわれるべきではない。
しかしながら、だれが「ガンダム」の拡張を望んだのだろうか?
扱う分野を広げるのは、その作品本来の個性を破壊するものである。
この映画のように分野を拡大させていけば、そこには可能性が広がったガンダムではなく、ただガンダムではないアニメが残るだけである。

さらに、本作品の帰着点とされる「意識共有、相互理解による紛争根絶と恒久平和」であるが、これはすでに宇宙世紀が目指し、通過したものである。
宇宙世紀では、互いの意思をくみ取る能力をもつ「ニュータイプ」という存在があったのは言うまでもない。彼らの一部は、「全人類がニュータイプになれば、争いがなくなる」と考えた。そしてそれは間違いであった。ニュータイプどうしで争うことも多々あるのだ。

そもそも、争いは「誤解」もしくは「理解不足」から生まれるものであると思われがちであるが、実際は「理解」からも争いは生まれる。相手の気持ちを知れば、争わなくてすむ──これはあまりにも単純な考え方である。

本作品のテレビシリーズのセカンドシーズンにおいて、トランザムバーストによる意識共有を行い、それによって人々が和解していく描写があった。しかしながら、それは都合のよい部分ばかり相手に伝わった結果であり、実際に相手のすべてを知って受容するなど不可能であろう。

このように、ストーリーの大前提に誤りがあるにもかかわらず、まるで完成したもののように処理され、また「ガンダム」の抱えてきた課題を解決したかのようにふるまっているのは、いささか問題がある。

「新しいことをやった」のではない。
「先人がわざわざ避けてきたことをやった」だけである。
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id336237/



つまり、どういうことだってばよ…