家族を描こうと努力した形跡があまり見られない。

例えばこの家族からは意図的に「父性」が排除されている。
意図的であることは、「うちは女系だから」というようなセリフがあったことから明らか。

もしナツキの父があの場にいたら、
「お前のようなものは大事な娘の婿には出来ない」というようなやり取りが
生じないとストーリーが不自然になってしまう。

これは別に男系社会へのアンチテーゼでも何でもなく、
単にそういう描写が面倒なので、物語から父親的存在を排除したのだろうと思われる。

本来、父親(または父親的存在)を乗り越える、或いは
父親と和解する、という事は社会と向き合うための若者の通過儀礼であって
家族の物語を描く以上、父親の存在を無視することはできないはず。
父親がいない場合はそれが「欠落」として描かれるはず。

その部分を安易に無視している、というこの姿勢が端的に
作り手側の受け手に対する不誠実さを表していると思う。