ナツキが「恋人を連れて行く」と予告していたなら、なぜ陣内家に到着した
とたんにバカ警官が飛んでこなかったのか、なぜ健二を恋人と紹介された
栄があれほど驚いたのか。その理由はいろいろ考えられるかもしれない。
たとえばナツキがあらかじめ「バカ警官とエロ親父と栄本人には絶対
言わないで」と予告していた、とか。でも問題はそういった解釈を
「考えることができればいいのか」だと思う。

 作品世界の時間と空間は操作できても現実世界の時間は操作できない。
何かを見落としたり理解しきれなくても観客はフィルムを巻き戻せない。
人間の思考力には限界があるわけで、目前でどんどん進んでいく初見の
ストーリーに必死でついていこうとしている人には途中に感じた違和感を
解消する解釈を考える余裕がないことも多い。映画はもともとそういう
制約を抱えた芸術であることを考えると、「考えればわかるはず」が
いつでも通用するわけではない。

 描かれていない部分の解釈に時間がかかることがあるように、
作品中の矛盾に気づくにも時間がいる。「よく考えればおかしいけど、
見てる間は気づかなかった」というのはよくあることなわけで、作り手が
映画の制約を逆手に取る場合もあるだろう。けれども御都合主義の
存在は説明はできずとも感じたりするわけで、その手の手法には
どうしても危険が伴う。違和感を与えない設定を考える努力を
するのが一番大切なのは間違いないと思う。

「健二が乗った電車の車掌の顔」でもなく、「ナツキが弁当を買った店の名」
でもなく、主人公の視点で見ているからこそ知りたいと感じるものについて
省かれると、観客は作り手のリアリティに対する感覚に小さな疑念を抱く。
そしてそれが作品全体の受け止め方にも影響したりする。

 健二を見た親戚の反応は、「あらわしの再突入体がもちうる破壊力」
などではなく人間心理にかかわる描写。舞台設定の非現実性とは無関係に、
常に一定のリアリティを求められる部分。そういう意味ではどのように
解釈しても違和感が残るという>>672の指摘はもっともなものに感じられる。
数秒のコストで緩和できるように見える違和感を作り手が意図的に残した
とは考えにくいとしたら、その点に関してはツメが甘かったと考えるのが
自然な気がする。

 ナツキの「ビッチ疑惑」を生んだ要因についても考えたけど時間切れ
サンレッドが羨ましい…… て、今でも嫁の稼ぎの方が多いが (T_T)