>>150
ttp://anime.goo.ne.jp/contents/news/NAN20070622_81/
ここらあたりでも本人が言ってるけど
セカイ系っぽいテーマは確かにある、というか原作がそうみたいだし、映画もパッと見は普通にセカイ系そのものな雰囲気じゃないかね

でも「それだけ」だと思うのはおそらく間違いだ
そんな短い函南のセリフだけで全て語れてるのなら、映画にする必要も無いし
あからさまに「大人(ティーチャー) vs 子供(キルドレ)」という戦いの構図を作っている意味も分からなくなる

俺が映画見て最初にすごく疑問に感じたのは、
「視点を変えれば世界は変わる」というのがテーマの全てなら、キルドレはティーチャーに挑む必要なんか無いじゃんか、ということ
自分の主観的世界さえ幸せならいい…ってんなら、わざわざ命を懸けてティーチャーなんかに挑まず、
いつも通りのまったり退屈な日常の中で「視点を変えて」、ちょっとした新しい発見をしたり、小さな幸せを見つけて
いわば「自分の主観的世界を変えること」はできるわけだ…
だがしかし「ティーチャーを倒す」ということは、「自分を取り巻く社会という客観的世界を変えること(or変えようとすること)」だよね

で今度はこっちの押井語録も見てみると
ttp://sky.crawlers.jp/tsushin/goroku/
> 重要なのは、何者でもない自分を知り、社会に出て生きるための「動機」、大人になるための「動機」を見出すこと
> 何者かになるということは、世の中に対して確固としたリアクションを起こす人間になるということ

こういう、セカイ系の主観的世界にとどまらない客観的世界、自分の外部の他者、社会との関わりというものもちゃんと押井は意識してるんだよ

だからまずは第一段階として「自分の視点をちょっとずらすだけでも、退屈だった世界は楽しいものに変わって見えるよ」
さらにもし出来ることなら、第二段階として「自分から外部に働きかけ、社会の仕組みを自分で変えるようなことが出来れば、人生もっともっと楽しくなるよ」
というところまでは少なくともこの映画のメッセージとして含まれているだろ