「仏陀再誕」の映画を観て来た。アニメ映画としても充分楽しめはした。このスレでも作品の話しソッチノケで一生懸命に色々書いてる人が居るが、
よく「仏陀は生まれ変わらない」と言ってるのを読んだり聞いたりする。しかしインド(正確にはネパール)に伝えられた預言で、
「仏陀が死んでニ千五百年後の末法の乱れた時代に、東の果ての国(日本と云われてるらしい)に再び仏陀が生まれ出て世の中を救う」
という預言が残ってるのも事実。結局、仏陀没後の仏教ニ千五百年の内に、分派宗派を幾つも生み出しながらも
南伝と北伝に大きく分かれ世界に広がった為の違いであり、北周りの仏教では学問&権威化、差別化の為の教義として
「涅槃に入った仏陀は絶対の存在で、もう生まれては来ない」との説が必要だったわけだ。
一方、仏陀(ゴータマ)の生まれ故郷であり、亡くなった土地でもあるインド地方(生まれは今のネパール)に残る「仏陀再誕の預言」は、
仏陀(ゴータマ)本人が亡くなる間際に言い残したものとされている。今日、日本に在るいわゆる「仏教」は、
北周りで入って来た学問化、形式化したものであり、言ってしまえば多くの手垢の着いた、元々とは少し型の変わったものである。
(立派な偉人聖人も沢山輩出したが)
仏教の生誕地であるネパールのものとは少し違うモノ、というわけだ。こういう事を考えると宗教も年月を経てしまうと劣化し「修正」が必要に
なるのかも知れない。
仏陀本人が、二千五百年前の弟子達と共に、「末法の世」と云われてる乱れた現代に再誕して世の中を救う。
そういうロマンを信じる宗教が在っても全く嫌悪感はわかない。むしろ頑張れと、本物であってくれと励ましたい気持ちがする。
ただしその教団の思想や行動が広く受け入れられ認められるか否か、あるいはその性質が正か邪かを世間が見抜くまでには、
ややもすれば人類存亡の危機が叫ばれる「現代」という時代の中に在りながらも、ある程度の時間と世間一般の人々の「心の進化」とも言えるものが
必要なのかも知れない。
幸福の科学の映画「仏陀再誕」はそんな想いを私に抱かせた。