>>905
おお、これは有難う御座います!この評論。これこそ、私がこの作品について考える際に気にかかっていた
部分をズバッと指摘してくれているので、本当に有難いです。感謝です。

> この暗喩の手法はまた、具体的な個物と瞑想的な直感で解読者を迷路に誘うことで共感を成立させる。
> 重要なのは、共通する無意識の層の、その共通性をどこまで掘り下げるかということになる。

そう、「瞑想的な手段で」「無意識層の(観客との)共通性を模索する」という意味において、駿は「夢」という
モチーフを選び取ったのでしょう。これ危険な、しかし魅惑的な「賭け」ですよね。

このスレでも「これまでの映画の文法に則さない作品だから良くない!」と主張する方たちがおられますね。
実は私が、2chを覗いてまで書いているのは、このあたりを危惧しての事なんです。
「これは、これまでの宮崎映画と同じ、現実の幅をちょっとだけ拡げたファンタジーだ」という根拠の無い概念に
囚われて。全然違いますよね。この映画が「夢」として書かれているのは、不自然な設定や芝居から明らかです。
フジモトが巨大な月と流星を指して「人工衛星まで堕ち始めた!重力場崩壊…」とか説明をしているシーンなんて
「夢」そのものではありませんか。目覚めてから反芻すると脈絡が滅茶苦茶なんだけど、夢の中では奇妙にリアル
に感じていた、そんな夢。

私には、Windowsやらハリウッド映画やら、アメリカ資本が作った「決まりごと」の範疇で論旨を展開する若い子ら。
その立っているプラットフォームが、あまりにもチンケで頼りなく見えます。その中で凝り固まって動脈硬化して
しまえば、WindowsというGUIが無くなってしまった時に、コマンドプロンプトすら扱えなくなります。
今回の映画はコマンドプロンプト(原初的、瞑想的な「夢」)として作られているのでしょう。