>>525
単に「おかあさんへ」と書かれたトウモロコシが窓辺にあっただけで、
この時点で両親はメイがトウモロコシを届けるために病院に向かった事実を知らない。
だから、「案外そうかも知れない」というのは
メッセージ入りのトウモロコシが「たまたま」あったのを見て
「そうだったら面白いね」くらいの気持ちで言ったまで。
もしあれがサツキとメイからのものだと確信しているように描くとしたら。
「おかあさんへ」ではなく「サツキとメイより」と書かせるだろう。
当時の宮崎監督なら、そういうところは抜かり無い。

「トトロの元に居る間は姿が見えない」というのは、「私たち風になってる」のシーンで表現されているので
(そして、この翌朝サツキとメイはちゃんと帰ってきている)
姿が見えない=死んだ、ではないし
母親の「サツキとメイが笑った気がする」も、単に
子供にしか見えない存在を何となく感じ取った、というだけの話。

これを「二人が死んでるなら納得がいく」と言う人は、
どうして「子供にしか見えない存在を感じ取る」のは納得がいかなくて
「霊の存在を感じる」のは納得が行くのだろうか?
本来ならどっちも同じくらい「ありえない」はずだが。