>>446
やっぱどうも原作原作ってとらわれ過ぎてる気がするなあ

映画のキルドレはホントの子供じゃなくて、「年齢的・肉体的には成人なんだけど、内面が子供のまま」の若者が
タバコ酒セックスという道具で表面的に大人ぶってみせてるという「大人コドモ」なんじゃないかね
そして多くのキルドレはそのことに疑問をいだかず、何不自由なく与えられるモノと快楽の日常に埋没している
(つまりこれが押井からみた「現代日本の若者の姿」なんだと思う)

その中で、水素は本当の大人(自立した大人)になろうとしてもがいているんだけど、社会の仕組みとか
上司とかの壁にぶち当たって、コドモの力ではどうにも出来ないから投げやりになってるキルドレ
(ここで完全に挫折すると、三ツ矢のように壊れてしまう)

原作との比較はいったん完全にやめて、「大人になれない大人コドモ=キルドレ」たちが
「自立した大人になるための壁=ティーチャー」に立ち向かっていく通過儀礼の寓話ってことで素直に見てみれば?