>>444
それは誤解。改変が改変なら文句は無いけど、改悪でしかないから文句があるわけ。趣味とか好みの次元じゃなくね。
好きか嫌いかで言ったら、映画は好きだよ。
押井は原作壊す人だと思ってるから、今回の作品も、原作とは相当違うんだろうなって覚悟の上で見てる。それで良くなってればいいんだけど、中途半端だったからダメぽ、と。

ついでだから、ダメな理由挙げていくわ。こんなん人には言えないし。

>>442の最後で書いたように、森テイスト残すつもり無いなら、むしろ完全に払拭してやるべきなのに、中途半端に「大人くだらないぜ」オーラが残ってる。
なのに、登場主人公達がまさに原作で言われるような「大人」としての行動ばかり取るから、おかしくなってるわけで。

また、原作からテーマ変えるなら、>>443で書いたように、最早レシプロでドックファイトやる理由ない。テーマと空ってのが結びついてたから、原作では必要だったわけで、映画では必要ない。
(映画のテーマが良い悪いではなく)

これはキルドレの設定等に関しても同じ。
原作ネタバレ無しの範囲で言えば、「大人にならないキルドレ=ずっと子ども=自由」なのが、作中では「成長しないキルドレ=永遠にこのまま=不自由の象徴」になってる。
「私たち、ずっとこのままだよ」の台詞に象徴されるように、映画では、キルドレであることが一種の閉塞寒すら出してる。
とすれば、「変化」が必要になるわけだが、原作の森のテイストが残ってるせいで、「大人くだらない」「しがらみくだらない」的なニュアンスが随所に表れている。
映画の中でカンナミやクサナギが「ずっとこのまま」なのは、再生され繰り返し続けるキルドレだからなのに、「ティーチャを倒せば何か変わる?」と「大人の男」であるティーチャが悪扱い。

テーマは、「停滞からの脱出」だろうに、その行き着く先は総じて「大人が悪いんだ」という、むしろ原作よりもガキっぽい話になってしまっている。

カンナミがクサナギを撃たない理由やその際の台詞も、映画の中で登場してからずっと淡々としていたカンナミとは大違い。
(単に原作のカンナミテイストがそうだから、そうしてしまっただけなんだろうけど)
三ツ矢の話を聞いても淡々としていたカンナミが、最後ティーチャに向かっていくほどの心情の変化があったとすれば、クサナギとのレストランの件の話。
とすると、月並みな「愛」で変わったという単純かつ「大人」の話になっていて、二重にダメぽ。
(三ツ矢の話に対応するカンナミは、原作のカンナミを意識してしまっていて、クサナギへの発砲〜ティーチャと戦闘のところでこの作品のテーマに即したカンナミになっているから変ってこと)

要するに、変わったテーマ自体に文句があるんじゃなくて、作品のテーマと中身がちぐはぐになってるから駄作だと言ってるわけ。
レストランでのクサナギの語りもテーマ自体とは関係ないけど、まぁこれは押井劇場ってことでw
むしろ、レストランでクサナギの語った内容をテーマに作った方が良かったと思うよ。
押井さん慣れないことやって失敗しましたね、って感じ。

設定面で言えば、娼館の設定とか、ドライブインのパイとか、ティーチャの設定とか、クサナギの娘の話とか、
パイロットとしてのクサナギの話とか、戦争代行会社の設定とか、消化しきれてない・あるいは続編作らないなら必要ない設定でしょ。
原作ファン向けだけに作られたのだったら必要だとは思うけど、明らかに原作ファン向けの映画ではないし。