>>128
そういうのこそ安っぽい相対主義だよ。
> 間違わないように前もって保険をかけようとする間違いも愛せよw
フジモトの間違いは、間違いだが、映画のなかでは好ましいものとして描かれてるよ。
許すときには徹底して許す世界の寛容さ、と
壊すときには道徳的な別け隔てなく、徹底して壊す荒々しさも描かれてる。
ご執心のニーチェで大仰に言うならディオニュソス的な力強い生だ。
日本の民間伝承に表われてくる「オシラサマ」や猿の「経立」ような「荒ぶる神」だ。
そういう荒々しく、残酷にもなり得る世界を「美しいと思う」と言ってる映画だ。

>>140
> なんて断言するのは宗教だけだ 心理学や哲学には存在しない
断言はしないが、そういうものについての志向を無くせばたちまち
「全ては無意味」のシニシズムに陥いる。
> けだし、我々にそれを完璧に区別し、認識して判断することは難しい
そう言うだけで、何も選ばない半可通な哲学は、世界の外側の傍観者に留まるよ。
君が欠点を指摘するばかりで、自分ではなにも積極的に選ばなず、
良かれ悪しかれ「決断しない」のと同じだ。

何かの欠点許り指摘して、シニカルに「ww」を並べてると、
自意識は満足させられるかも知れんが、批判の対象許り増えて、
それそここの世にある美しいもの、面白いものをどんどん見逃していくことになる。
例えば、君はいったいこれでない、他の何を「肯定」するんだ?
積極的に自分が「良い」と思うものの、その良さを話すことに多少は心を砕くべきじゃないかと思うけど。