もともと蒸しプロは、実験アニメを作ろうということで手塚が私的にはじめた
ものだったが、集めた東映などから脱藩してきたアニメータたちが自分たちの
生活と社会的アニメーターの地位向上をスローガンにテレビアニメを始めて
それが馬鹿あたりして社会現象ブームとなってから方向性が狂っていって、
今日のTVアニメ氾濫かつ濫作の先駆けをなした。(もちろん追従模倣者が多数
でたことが、濫作と過当競争の最大の原因だが)。前時代的な精神構造と
映画館系列の独占にアグラをかいていた大会社東映動画を出し抜いたのは
ご存知のとおり。しかし、虫プロ内部のアニメーターの一部と手塚治虫自身は
評論家受けする大人向きの社会派的テーマを求める心も持っていた。
山本英一はおとなっぽいどちらかというとシネマやフランス映画のような
作品の方がお子様ランチ漫画よりも傾向として好きだったのだ。他にも
勝井氏とか脱藩して取りトン作った某とかも皆そうだったと思う。
そもそもある程度歳がいった大人が子供向けの作品を作るというのは
かなり大変なことで、それをやりぬいていた手塚治虫とかいわゆる当時の
児童漫画家とか児童作家こそが普通じゃない才能なのだ。
また、左翼崩れの評論屋は、児童作品を軽く低く見る傾向が強かった。
大新聞の一コマ漫画がどんな児童雑誌の漫画よりも上だという価値観の
序列がけっして崩れていなかった時代である。